廉が下ろされ外の激しい日差しから守られた風通しのよい部屋で、太公望は昼食後の惰眠を貪っていた。
うつ伏せて大の字に横たえられた身体。薄暗い部屋にあるそれにさらに影が重なる。

「気づいてらっしゃるんでしょ、太公望師叔」

廉を通りぬける風のように涼やかな声を合図に一呼吸置いて、太公望の四肢がいっせいに伸ばされた。
そしておもむろに身体を起こすと、胡座を構いてわざとらしくもう一度伸びをし、口元をぬぐう。
「意外と早かったな、楊ゼン」
その第一声に楊ゼンの柳眉が逆立った。
「人に死ぬほど心配させといて、それが会って初めに言うことですか!
生きているならそうとなぜ言わないのですか!
大体あなた、こんなところで何しているんですか。こんなところで怠けていないで仙界に戻ってきて下さい!
あなたのおかげで僕は教主なんて七面倒な役目を押し付けられて、後始末を全部させられているのですよ!!」
息継ぎをせず一気に吐き出して、楊ゼンは肩で息をする。
太公望はそんな彼に傍らの桃を差し出した。
「ほれ、食え」
あくまで飄々とした態度の太公望に楊ゼンは怒りの形相を近づける。
「い、り、ま、せ、ん!!」
その迫力にさすがに太公望も後ずさった。
「冗談の通じぬやつめ・・・」と額についた畳の痕を撫で擦りながらぶつぶつ言う太公望に、向かい合うように楊ゼンも腰を下ろす。
「ところで、どうしてここにいるとわかった。ジジイの千里眼でもわからぬようにしているのに」
「元始天尊さまの力より僕が劣っているとでも?!」
顔を横に上げて即座に言い放った彼らしい言葉に、太公望は「そりゃそうだ」とにやりと笑った。
会話をしたせいで幾分か冷静になった楊ゼンはあらためて太公望と向き合う。
太公望は碗を二つ取り出すと、いつでも飲めるようにと作り置いておいた壷の中の香茶を注いで、その一つを楊ゼンの前に置いた。
そしてもう一つを自分のところに引き寄せ、音を立ててすする。
楊ゼンも軽く頭を下げると碗を手に取って、優雅に口を付けた。
心地よい風が通り際に楊ゼンの残りの熱気を奪って抜けていく。
先に口を開いたのは楊ゼンだった。
「太公望師叔、なぜこのようなところに居られるのですか」
未だ茶をすすっていた太公望は自分を見つめる真摯な眼差しをかわした。
「ここにいれば三食に昼寝もついておるのだ。
もちろん桃も菓子も食べ放題。こんなよいところは他になかろう。かーっかっか・・・」
だが、楊ゼンの瞳は太公望を逃さない。
「仙界にお帰り下さい。もし地位や雑務がわずらわしいと思われるのであれば、そんなものは気になさらなくてもよろしいですから。
あなたが戻ればみんな喜びますよ。だって、みんなあなたのことが好きなのですから」
太公望は目を伏せて小さく笑った。
楊ゼンにはその笑いの意味はわからない。しかしかまわずに続けた。
「なぜこそこそと隠れるのですか。確かに仙界から人界への行き来は制限されましたが、あなたの能力があれば仙界にいても支障はないでしょう。
それよりもまず、みんなに会って一言『生きている』となぜおっしゃらないのですか」
「おぬしの心の整理はついたのか」
いきなりの核心に楊ゼンの顔が強張る。
「王天君との融合直後はまだ自我までは完全に確立していなかったゆえ“太公望”と名乗ったが、今わしが何者かと問われれば、“王奕”であり“伏羲”であると答えるであろう」
先ほどまでとはうってかわって、太公望は凛とした表情で未だ顔を強張らせた楊ゼンと対峙する。
「封神計画自体は知っての通りのものだが、おぬしの父と師を“殺した”その過程と結果は王天君がやったものだ。
計画を円滑に進めるために通天教主や玉鼎、他にも封神された者たちに無用な苦痛を与えた」
楊ゼンは口を動かしたが、そこからは何の言葉も出てこなかった。
太公望がその澄んだ目を、簾越しに映るよく晴れた空にゆっくりと移す。
「“わし”にとって“太公望”とは意識と前意識にあたり、“王天君”とは無意識にあたるのだと思う。
おぬしは以前“太公望”に『束縛をすべて捨てて汚い手を本気で使ったらどんな敵でも倒せる』と言ってくれたが、せいぜい前意識までしかない“太公望”は汚い手を使わぬのではなく、使えぬのだよ」
喉の渇きをおぼえた太公望は茶を一口含み、口喉を潤す。
「ヒトはみな自分の中に深い闇を持ち、それと日夜戦い、抑圧して生きておる。
誰もが持て余す闇を持たぬ存在、それが“太公望”であり、抑圧する光を持たぬ存在、それが“王天君”だ。
だが、それらはヒトではない」
太公望は小さく笑った――先ほどのように。
「“みなに慕われる太公望”とはそのような存在ゆえだ。抑圧すべき闇を持ち、ある意味ヒトとなってしまったわしではない。
そして、完璧主義の者は人より多くのものを抑圧しようとする傾向がある。
だから、抑圧されぬ“王天君”には嫉妬を通り越して憎悪を、抑圧するものを持たぬ“太公望”には憧れを通り越して崇拝の念を抱いた・・・・・・」
「違います!!」
太公望が話し終わるか終わらないかというところで楊ゼンは叫ぶように否定した。
「違う、違う、違う・・・・・・!」
楊ゼンは幼子のように首を振ってただ否定し続ける。そんなものは認めたくなかった。自分の太公望への想いが汚される気がした。
太公望はそれ以上楊ゼンに追求はしなかった。
ゆっくりと茶を飲み干すと、静かにうつむいている楊ゼンに話し掛ける。
「永年の悲願であった封神計画は終わり、わしの存在意義もなくなった。
もう、みなはわしがおらんくても大丈夫だろう」
楊ゼンは力なく顔を上げた。
「なぜそのようなことをおっしゃるのです。なぜそのようなことが簡単に言えるのですか。
みんな・・・いえ、僕はこんなにもあなたを必要としているのに」
楊ゼンが太公望と目線を合わす。
「なぜここなのですか。・・・・・・あなたはずっと“ここ”に居座るおつもりですか」
「それはない。近いうちに離れるつもりだ」
暗に込められた意味も含めて、迷いなくきっぱりと太公望は言った。
その言葉に楊ゼンは少し安堵する。
ゆるんだ気を見て取った太公望は、すかさず話題を変えた。
「みなはどうしている。元気にしておるか。よかったら近状を聞かせてくれ」
楊ゼンもそれに乗り、蓬莱島に戻ってからのことを身振り手振りを交えて面白おかしく話し始めた。




――少しでも彼が戻りたいと思うように願いながら。














部屋の外も随分と薄暗くなり、楊ゼンは寝所の灯りを入れて回り始めた。
「師叔、そちらも点けてよろしいですか」
楊ゼンが指しているのは四畳半の間に備え付けられている書を読むための灯台。
楊ゼンの肩布をかけてうつ伏せて眼を閉じていた太公望にあまり返事を期待してはいなかったが、起きていたらしく「んー・・・」と姿勢はそのままで灯台を手で押しやった。
了承の意と取り、楊ゼンが側に寄った。その時、楊ゼンの顔に軽い緊張が走る。
「師叔!」
鋭いが押し殺した呼び掛けに応えるかのように、太公望も身を起こして立て膝を突いた。
そして意識を扉の外に向ける。
身の回りの世話をする女官の類は太公望が寝所に居候を始めたときから来させていない。
主不在と知ってなお急ぎ近づく足跡。
それは二人が見据える扉の前で止まり、間もなく勢いよく扉は開かれた。









視察先で武王倒れるとの報であった。


                                            ―続く


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『あとしまつ』2回目です。
楊ゼンさん登場。でも扱いがちょっとヒドイかな?

今回の話はねこなりの太公望と王天君と伏羲の位置づけです。
言いたいことは単純なのですが、それがさらりと表現することが出来ず、台詞がすごく不自然になってしまいました。
うーん、なんて説明したら野暮ったくなくなるんだろう。

今回は頭から尻尾まで読みにくいですね。
すごく書きたかったものの一つなのに、読み返してみるとおもしろくなーい!
まだ自分の中で熟成されていなかったのかな?
書きたいことを書くというのは難しいものです。

楊ゼンさんへのフォローは次回以降にやります。
このままじゃあまりに彼がかわいそすぎるので(笑)。
あたたかく見守ってやって下さい。






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